第96回カスハラから従業員をどう守るのか

※この文章は、社会保険労務士法人 名南経営によるものです。

※この文章は、2023年9月11日現在の情報に基づいて作成しています。具体的な対応については、貴社の顧問弁護士や社会保険労務士などの専門家とご相談ください。

1.はじめに

このところ、日本で当たり前であった一部の商慣習やサービスの在り方を見直そうという機運が高まっており、しばしばマスメディアによってその内容が報道されています。
例えば、飲食店や小売店など接客業における従業員の名札の廃止はその典型例であり、バスやタクシーなど旅客業においても運転手の氏名表示を外す動きも出ています。また、電話応対においては、「このやりとりはサービス向上のために録音させていただいております」といった音声が流れてから会話が始まることが増えており、商慣習やサービスの在り方が少し変わってきつつあることを感じている人は少なくないのではないかと思います。
この背景の一つには、顧客からのハラスメントの増加が挙げられます。
ここ最近、顧客から執拗に名前を連呼されて謝罪を要求されたり、さらにはそのやり取りをスマートフォンで録画されSNSに投稿されたりというケースが生じています。電話応対においては何時間も通話を余儀なくされた挙句脅迫めいたことを言われることもあるようです。こうした被害を受けた従業員が離職したり、精神疾患に罹患したりといったケースが全国各地で相次いでいることから、「従業員の名前の非表示」の動きが加速しています。

2.カスハラとは何か

悪質クレーマーから度重なる嫌がらせを受けたことは多くの事業所で経験があることでしょう。「土下座をさせられた」「金銭解決を余儀なくされた」などでそのトラブルを着地させたケースもあるのではないかと思います。
こうした顧客からの暴力や暴言、著しい迷惑行為などのハラスメント行為をカスタマー・ハラスメントと総称しており、カスハラと一般的には表現されています。この場合の顧客とは、直接的な顧客のみならず取引先なども含まれており、広義の意味での顧客と捉えることができます。
セクハラやパワハラは、その定義が法律などによって明確にされていますが、カスハラについては法律などによる明確な定義はありません。もちろん顧客からの苦情がすべてカスハラに該当するということはなく、過度な要求や暴言、暴力などが絡んでいるかなど、その態様や頻度、悪質性などによってカスハラか否かを判断することになります。その際、パワハラ防止法(改正労働施策総合推進法)における「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」というキーワードを参考にするとよいでしょう。パワハラとカスハラは似て非なるものですが、限度を超えている点では同一であることから、判断にあたっての参考キーワードになります。

3.増加するカスハラ被害

カスハラが徐々に社会問題化してきたことを受け、日本労働組合総連合会(連合)が「カスタマー・ハラスメントに関する調査2022」を実施したところ、コロナによる影響もあって直近5年間でカスハラの発生件数が増えたと回答した割合は36.9%となっています(図表1)。

<図表1> カスハラの発生件数について

<図表1> カスハラの発生件数について
  • (出典) 連合「カスタマー・ハラスメントに関する調査2022」
    https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20221216.pdf P14

また、カスハラの被害を受けたことによって「出勤ができなくなった」「心身に不調をきたした」「仕事に集中できなくなった」などと回答した方の割合は、図表2にあるように一定数あり、それらを理由に離職を余儀なくされた方は世の中全体で相当数存在するのではないかと推測されます。そしてそれは、人材不足が顕著になっている昨今、残された人員に業務負荷が過度に掛かり品質がさらに低下することによって、より顧客から苦情を言われる隙を作ってしまうという負のスパイラルとなっている事業所を生んでいるのではないかと危惧します。
一方、カスハラが発生したとしても「当社の上得意先さまだから」などを理由に毅然とした態度を取れていない事業所もあるようで、従業員が何人も辞めても組織として十分な対策を講じない事業所に見切りを付けて自身も離職を決断するといったケースも耳にします。
カスハラ被害によって、労働力を失い事業の存続が困難になったり、被害を受けた方が相当な年月社会復帰ができなくなったり、という結果を生むとなれば、社会において大きな損失です。カスハラの内容や程度によっては企業側も毅然とした態度で取り組む必要があることは言うまでもありません。

<図表2> カスハラによる生活上の変化

<図表2> カスハラによる生活上の変化
  • (出典) 連合「カスタマー・ハラスメントに関する調査2022」
    https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20221216.pdf P10

4.法違反となるケースもあるカスハラ問題

サービスの在り方などに問題があって苦情を受けた、というレベルではそれ自体はカスハラにはならないことは前述のとおりですが、「持っていたボールペンなど物を投げられて当たった」「小突かれた」「土下座を強要された」などにエスカレートしたとなると話は別です。刑法犯となる場合がありますので、証拠を残すことに努め、顧問弁護士に相談をする、警察に介入してもらうといった次のステップの検討が必要です。「物を投げられて当たった」「小突かれた」などの場合には、刑法第204条の「傷害罪」、208条の「暴行罪」となる可能性があり、土下座の要求は刑法第223条において「強要罪」に該当する可能性があります。
また、店舗や事務所などの業務スペースに立ち入って居座り、何時間も苦情を言われ続けて業務に著しい支障が生じる場合には、刑法第130条の「不退去罪」が該当する可能性があります(図表3)。

<図表3> 該当する刑法例

刑法第130条(住居侵入等)

正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

刑法第204条(傷害)

人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

刑法第208条(暴行)

暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

刑法第223条(強要)
  • 1. 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。
  • 2. 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者も、前項と同様とする。
  • 3. 前2項の罪の未遂は、罰する。

上記以外にも「威力業務妨害罪」などさまざまな法律・規制に抵触する可能性がありますので、自社で我慢し続けて従業員に精神的な問題が生じる前に、早い段階から顧問弁護士に相談をして対応を進めるのが賢明ではないかと思います。

5.注意しなければならない安全配慮義務

カスハラに関して注意をしなければならないのは、従業員に対しての安全配慮義務という問題です。これは、労働契約法第5条(労働者の安全への配慮)において「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と定めているものであり、近年の労働裁判例では安全配慮義務違反を理由に企業側に損害賠償などの支払いを求めるケースが相次いでいます。例えば、大手広告代理店において働いていた女性社員が長時間労働を理由に過労自殺を図ったことに対して安全配慮義務違反などを理由に企業側が敗訴したことはよく知られていますが、精神疾患などを伴うようなケースが生じた際にもしばしば労働裁判例で企業側の安全配慮義務というキーワードが用いられています。

6.カスハラを根拠としてより明確になる労災認定基準

カスハラによる被害は通常業務中におけるものであるため、その被害によって精神疾患を伴うようなケースに至る場合には、労働災害として評価および認定されることがあります。しかし、その認定審査においては、具体的な基準が明確でないことから時間を要しているのが実態です。そこで、労災認定審査の迅速化を図る目的で、厚生労働省「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」※1において、速やかにその基準の見直しが進められ、2023年9月1日に新たな通達(基発0901第2号)※2が発出され、実効性を伴うものになりました。
具体的には、精神障害の労災認定基準において、業務による心理的負荷評価表が見直され、「顧客や取引先、施設利用者などからの著しい迷惑行為を受けた」といういわゆるカスハラについて追記されることになりますので、実際にそうした事由によって精神疾患となってしまった場合には、労災としての認定が迅速に進むことになります(図表4)。

<図表4> 報告書の概要と業務による心理的負荷評価表の一部抜粋

  • (出典) 厚生労働省「心理的負荷による精神障害の労災認定基準を改正しました」
    https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_34888.html
    https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140928.pdf
    https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf 別表1
  • ※1:https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-roudou_128914.html
  • ※2:厚生労働省「心理的負荷による精神障害の労災認定基準を改正しました」
    https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_34888.html
    https://www.mhlw.go.jp/content/11201000/001140929.pdf

7.カスハラからどのように従業員を守るのか

カスハラから従業員を守るためには、どのようなことがカスハラに該当するのかをしっかりと従業員に教育するところからスタートするとよいでしょう。最近は行政機関や業界団体などからもカスハラに対してのマニュアルなどが出ており、それらはインターネット上でも手に入れることができます。また、厚生労働省からは、「カスタマー・ハラスメント対策企業マニュアル」がWeb上で公開されています。基本的な内容が網羅されているこうしたツールを用いることによって社内勉強会を開催する方法も考えられます。このマニュアルの中には、図表5に挙げるように「トラブル発生時には二人以上で対応する」など、現場における具体的な対応策が記載されていますので、実務運用面において参考になるでしょう。

<図表5> カスハラが疑われる場合の対応

<図表5> カスハラが疑われる場合の対応
  • (出典) 厚生労働省「カスタマー・ハラスメント対策企業マニュアル」
    https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000915233.pdf P31

また、社内に専門相談窓口を設置することは働く従業員に安心感を与えますので、検討してもよいかもしれません。社内で専門の相談窓口を設けることができない場合には、弁護士事務所がそうしたサービスを提供していたり、顧問弁護士がその役割を担ってくれたりすることもありますので、活用されてもよいでしょう。
一方で、本質的には誰を優先的に守るのかという大前提の確認が必要です。これは、カスハラにおける対応方針の軸にもなるところで、多くの場合には「従業員を優先的に守る」ということになろうかと思いますが、それがしっかりと従業員に伝わるように方針を決定する必要があります。具体的には、従業員にどのようなことがあれば警察を呼ぶのか、どの段階まで一般従業員に対応させるのか(管理職や幹部クラスの対応はどのタイミングから行うのか)といったことであり、こうした点が定まると、いざカスハラが生じた際に迅速な対応ができると同時に、働く従業員に安心感を与えることができます。
これらの点については、運用マニュアルとして自社独自で整備し、カスハラ対策規程として規程におくなど、体系的な整理を進めておきたいところです。

8.さいごに ~サービスの在り方の再検討~

カスハラに対し会社は従業員を守るという姿勢が示され、かつ従業員にカスハラについての知識や情報が増えると、個客などから苦情を強く言われた場合に、すぐに「これはカスハラだ」となる風潮が社内に出てしまうことがあります。これは、かつてパワハラが世の中全体に知れ渡る過程において、上司のどのような一言でもすぐに「パワハラだ」と部下に言われて困った企業が多いことが証左しています。苦情の中には、自社サービスの向上に向けて有難い意見であることが少なくありませんので、認識のズレが生じないように注意したいところです。根本には、自社においてサービスはどうあるべきか、ミスがあった際の自社対応の在り方を含めて再考を進めることが大切と思われます。

【執筆者】

社会保険労務士法人名南経営 社員
株式会社名南経営コンサルティング 取締役
社会保険労務士 服部 英治

大学卒業後、大手社会保険労務士事務所を経て1999年株式会社名南経営に入社。約600名のスタッフを抱える名南コンサルティングネットワークのトップコンサルタントの一人として、全国各地で人事制度改定支援、職場の風土改善、就業規則策定支援、株式上場支援、各種人事労務相談等に応じている。経営者視点のアドバイスは好評で上場企業から零細企業に至るまで、多数の顧問先を抱えながら執筆や講演等を行っている。「タブーの労務管理(労働新聞社)」他10冊以上の書籍を執筆している。